最近気が付いた事があります。物事に精通してあるところまで行くとある時「あ、この感じね」というのがわかるよにうになるという事に。
どいう言う事かと言うと、わかりやすい所だと、誰もが見た事がるであろうTVドラマなんかは、「多分この人とこの人が最後くっつくんだろうな。その感じね」みたいな事です。
何回も何回も繰り返し見ているとストーリの展開がよめるし、このシーン見た事あるなという場面に遭遇します。要は目が肥えてきたという事です。
これが仕事や趣味を通して感じる事があります。私は趣味でゴルフをしますが、ゴルフ場はそれぞれまったく違う環境ではありますが、似たようなシチュエーションが多くあります。
始めのうちはそれが危険な場面である事に気が付かないのですが、何回もミスをしていくうちに「あ、この感じね」というのがわかってくるのです。
音楽もそうで、耳の肥えた人が聞くと「あ、この感じね」というメロディーラインがあって、それはある程度知識や経験がないと聞いていても気が付けません。わかる人は、逆に聞いている人に
「お、そうきたか」と思わせたいので、メロディーを崩して崩して普通ではない曲をつくるのですが、そうすると今度は聞いていて「その感じ」がわからない人からするとなんだかよくわからない曲に
なってしまいます。絵なんかもそうですね。ぱっと見何かいてるの?と思うような絵がすごく評価されたりしますが、見る人が見たらその価値がわかるという事がよくあります。あれは普通を塗り替えて
行った先にある芸術の世界なんだと思います。でも一般的にそれがすごい事であるという評価が出来る人は少ないと思います。
このように、わかる人だけわかる世界というのは実に狭い世界で、物事によほど精通した人しか感じられない感覚だと私は気が付いたのです。これを「あ、この感じね」の法則と名付けました。(勝手に)
逆に言うと「この感じね」がわかるようになれば、その物事によほど精通してきた証拠ではないかと思うのです。きっとあなたが今熱中している仕事も、趣味も、この法則に当てはまるくらいに
精通すれば一人前とよべるのではないでしょうか?
しかし、です。
先にも述べたように、その普通じゃない音楽や絵を素直にいいね!と言える人がどれくらいいるでしょうか?「この感じ」でも、それを心地よく思う人も多くいるのです。物事に精通し、自分の知識が
深まっても、それを振りかざす事はよくありません。いわゆるマウントを取るというやつですね。本当の識者は「この感じね」の法則に当てはまってもそれもまた良し。と言える人だと思いました。