サウナ人生学。という話。

誰かと戦うわけでもないのに、筋トレをしています。

もはやこの筋肉は、温泉で他の男性より「おす」として「おす」らしくあるためだけに鍛えているようなものです。

私はずっと前から温泉が好きです。温泉といっても、○○温泉郷までわざわざ行って、温泉を語るような事は野暮です。

近くの温泉で十分なのです。沸かし湯でもいいんです。加えて、サウナも好きです。「ととのう」なんて言葉がはやるずっと前からもう私はととのっていました。

なのに最近は変な帽子をかぶった人がサウナに入ってきたり、サウナを語る芸能人が出てきたりして、正直いい迷惑です。

おしゃれサウナが出てきたり、移動式のサウナがどうとか、なぜ?普通に、静かにサウナを楽しませてくれよ・・。と、真のサウナ好きは思っています。

なんでもそうです。人気が出ると、多くの人が殺到します。そこに便乗してビジネスが生まれ、変なデザインが入って、やがて廃れていくのです。

それ以前からそれを楽しんでいた人にとっては、市場を荒らされたあげく、一時「ちょっと流行りに乗ってる人」という見られ方をして恥ずかしい思いをするのです。

 

 

 

人気が出ると、興ざめするという事はよくあります。例えば、インディーズ時代から応援していたバンドが、売れ出してメジャーになってしまったらファンを辞める。

みたいな事は、心理としてよく理解できます。私だけが知っていたのに・・というファン心理ですね。これは、お店でもよくある事です。できたばかりの新しいお店が、どんどん

有名になってしまうと、なんだか足が遠のくものです。でも、売れる事自体は、そのバンドにとっても、お店にとっても本望です。であるならば、売れた事を心から喜ぶのが

本当のファンのあるべき姿ではないでしょうか。

 

 

 

話はそれましたが、なぜサウナが好きかという話です。(そんな話だったっけ?)

話は学生時代(大学5年生)までさかのぼります。人生に完全につまずき、行き場を失っていたころの話です。

ストレス発散のため、新宿のサウナによく通っていました。そこにはたぶんいろんな職種の人がいました。そっち系の人もいましたし、ヤ○ザさんも、会社経営者もきっと

いたでしょう。私のような学生もいます。でもサウナに入ればみんな裸です。裸の状態では、肩書なんて関係ないんです。みんなただの裸の男です。

そこに優劣なんてないんだなと、人生に迷っていた私は思ったのです。人間、肩書や着ているものを脱いだ時、何が残るのかが大事なんだという事を、サウナに入りながら

学んでいたのです。今は人生につまづいた学生でも、裸になったときに恥ずかしくない人間でなければいけないぞと、自分に言い聞かせました。(見た目の問題ではなくです)

そんなころからサウナが好きです。サウナこそ、人間性が現れるのです。裸のくせに、名刺を持たないサウナで、横柄な態度をとる人を見ると、まさに裸の王様だと思います。

人間性というのは、端々に表れるもので、それは自分ではなかなか気が付かないものです。裸になればそれはもう、隠しようがないですね。(お後がよろしいようで)