僕が走り始めた理由~最終話~

「和也はテントの前だけ早いからな~(笑)」

 

 

今でも鮮明に思い出す光景がある。小学生の頃の運動会だ。あの頃は子供の数も今に比べれば多くて、小学校の運動会と言えばそれはそれは地域の一大イベントだった。

もちろんうちの家族もお弁当をもって町内ごとに張られたテントの下、我が子の活躍に声援を送っていた。僕は短距離が得意だったけど、持久走が本当にダメで、どうやった

ら体育の時間、持久走を走らずにすむのかを毎回考えていた。でも運動会の日だけは走らないわけにはいかない。時間が来て、学年ごとにスタートを切ると、当然のように早い人達は

びゅんびゅんと駆け抜けていく。グラウンドの周りのテントからは応援に来た家族や近所の人達まで声援を送っていた。一方僕はどんどん引き離されていき、あっという間に最後尾。

僕は体格がよかったので(太っていたので)見た目もコロコロしていて目立っていた。それもあってか、一番後ろをとぼとぼ走っている姿に別の町内の父兄からも声援と笑いが

おきる。恥ずかしいのと、息が辛いので今すぐに足を止めて逃げ出したかった。でも子供ながらに、いや子供だからこそ、親の前ではいい所を見せないといけないという思いが

あった。だからうちの町内のテントの前だけ、一瞬だけスピードを上げて速く走った。でも疲れるのですぐ遅くなってしまう。気が付けば周回遅れで、いつものように最後尾でゴールする。

 

 

 

 

 

お昼のお弁当の時間、親の待つテントへ走って行き、ちょっとだけ頑張った自分の姿を褒めてほしかった。でも、

テントの前だけ早かったなー(笑)と家族みんなが笑っていた。

もちろん悪気はなくて、そこに愛情はちゃんとあった。母親はよくがんばったよ。とフォローしてくれたし、自分も笑っていたけど、目には涙が溢れていた。

 

 

 

 

 

 

 

中学ではバスケット、高校から始めたラグビーは大学、社会人まで続けた。でも長い距離を走るという練習だけは、いつの時代も苦手だったし、嫌いだった。

トラウマになっていたんだと思う。大人になってからはランニングを趣味としている人に対して「何がそんなに楽しいの?」と本気でそう思っていたし誘われても

「もう一生分走ったから」と言って断った。なぜ自ら進んで苦しい思いをしなければならないのか?心の中の少年和也はあの頃の涙をぬぐい切れていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

そんな私がなぜか、【フルマラソンを走る】と言っている。しかもこんなブログまで書いている。このブログはまさか自分がマラソン大会にエントリーするようになるなんて事が

自分でも信じられなくて、同じ様に走っているお客さんと話のネタになればいいと思ったのと、自分に自信が持てず、何か新しい事にチャレンジする事が出来ない人がいて、そんな人に

ちょっとでも勇気をもってもらえたらと思って書き始めた。(コーヒー屋のブログです汗)

ランニングを通じて感じた事や、思った事をつらつらと綴ってきたシリーズ。今回が最終話にしようと思う。

 

 

➡ 第一話から読んでみる

 

 

人生は何があるかわからないものだ。なぜ走り始めたかと聞かれれば、

きっかけは「ダイエット」だった。85キロあった体重を80キロまで落とすために始めたダイエットだ。

こちらが before

 

こちらがAFTER

 

気が付けばマイナス15キロ。ダイエットは、恐ろしいくらいに成功した。自分で言うのもなんだが、今の方が若く見える。これでもう走る理由はなくなったのだが、

気が付けば、痩せる事より走る事が目的になっている自分がいた。

 

 

初めは本当に1キロ走る事さえできなかった。そりゃそうだ、走るの苦手だし嫌いだったんだから。しかも運動はラグビーを引退してから10年はほぼ皆無だった。

35歳を過ぎた中年の自分が、痩せるためにちょっと走ってみようったて、簡単にはいかなかった。

ちょっと走ると足がパンパンに張ったし、毛穴が開いて全身かゆくなった。胃液が上がってきて気持ち悪くなった。

あぁやっぱり辞めよう。と思った。でもいい加減、食事制限だけでは痩せられない事は気が付いていた。しょうがなく次の日もウェアに着替えて外にでた。

 

 

ランニングを趣味にしている人の話を聞くと、自分と同じように走るのが苦手だったとか、スポーツ経験ほぼなし、という人が多い事に気が付いた。自分がそうだから

理由はわかる気がする。それは、ランニングって「誰でも続けていれば必ず走れるようになる」スポーツだからだ。どんなに運動経験がなくても、続けていれば成果を感じられる。

そういう成功体験を得やすいスポーツだと思う。「あんなに運動が苦手だった自分が、こんなに走れるようになった」という経験が積み重なってやがてハマっていく。

そんな人が多いと思う。私もそうだ。ただ、「走る目的はそれぞれまったく違うし、人と比べるものではない」という事を声を大にして言いたい。

僕のモチベーションは目標タイムをめざして日々トレーニングする事にあるけど、みんなが速く走る事に目標を置いているわけでは決してない。気持ちよく走る事が一番だし、

楽しくそれぞれのペースで走ればいいのだ。

 

 

この写真は、今年の田沢湖マラソンの時に撮った写真で、中学の同級生と偶然会場で再会し、嬉しくてつい撮ったもの。ランニングを続けていたおかげで同級生にも会えたりする。

お互い歳とったなぁなんていいながら、近況を語り合う。みんな目的は違うしペースも違うけどお互いの健闘を誓ってスタートした。ゴールしたときみんなが待っていてくれたのが

とても嬉しかった。

 

 

 

あと、ランニングの途中、自分が走った景色と距離などをSNSに投稿する事でモチベーションを保つことができた。ただ走っているとやっぱり飽きてしまう事もあるので、いいね!をもらう事で

やる気を維持する事ができた。ちょっとした他人から見られているという緊張感は必要で、それが無くなるとただのおじさんになってしまう。と自分に言い聞かせている。

 

 

➡ マスターのインスタを覗いてみる

 

 

 

 

 

冬のランニングは過酷だった。なにしろ走るコースがない。雪国だから。上級者の方に聞くと、どうやら融雪道路があるらしいと聞いて、そこを走った。トンネルの中をダッシュしたり、

体育館をぐるぐる走ったりもした。さすがに吹雪の中、全身防寒対策ばっちりで外に出る自分が、「馬鹿だなー」と思う瞬間もあった。でも「馬鹿になれ」と故アントニオ猪木氏も言っていたが、

「馬鹿だねー」と言われるくらいやらないと見えない世界があると思う。これは何の世界でもきっとそうなんだ。ゴルフだって、コーヒーだってそうだ。

 

 

今日走り終わったあなたは、走る前のあなたより確実に成長している」この言葉がすきだ。ナイキのランニングアプリから聞こえてきた言葉だ。

ちょっとづつ速く、長く早く走れるようになっていく自分が嬉しくてたまらなかった。あんなに長距離が大嫌いだったあの自分が?本当に今でも信じられないくらいだ。

 

 

 

 

 

出張に行って、その町のランニングコースを検索するのも楽しかった。上は皇居。下は大阪城。他にも札幌、盛岡も走った。

皇居ランは、ランナーの聖地だと田舎者の私なんかは思っていたから、ランニングが趣味ならまずは皇居を一周しとかなきゃな。近くにホテルをとって銀座の交差点を

ランニングウェアで駆け抜けてやった。

 

大阪城はとてもよかった。ちゃんとランニングコースも整備されていたけど、道に迷って予定より長く走る事になった。途中で雨に降られて帰りはちょっと恥ずかしい恰好になってしまった。

まぁ、通勤ラッシュのサラリーマンにおおきに!と言って通り過ぎたけど。

 

 

 

 

 

最近ハマったのが、「 歩道橋ラン 」だ。走っていると、どうしても歩道橋を渡らないといけないルートもある。その歩道橋の上から見る景色が意外と綺麗で好きだった。

ふと秋田市内の歩道橋制覇したい!と思ってはじめたのが、歩道橋ランだ。と言っても実は秋田市に歩道橋はそれほど多くないことが、やってみてわかった。8か9か所だと思う。

この写真はおそらく秋田市の中で一番遠い所にある歩道橋で、秋田北中の前にある歩道橋。

この景色を撮るために、走行距離は往復22キロを走った。いい距離走になった。もうこの頃には、20キロ走るという事に恐怖を覚えなくなっていた。それこそインスタなどで走行距離を

上げている人はたくさんいて、月間300キロ、400キロなんていう人もたくさんいるのだが、さすがにまだそのレベルには行けていない。だからといって、いきなり自分が月間300キロ走る

事ができるかと言うと、それは無理なのだ。きっと彼らも初めは100キロ走ることさえままならなかったはずだ。何年もかけてトレーニングをしたからこそ400キロも走る「脚」ができたのだ。

いまいきなり距離を伸ばそうとすると、必ずケガをすることになるだろう。

そう、走り始めて色んなケガをした。「腸脛靭帯炎」「足底筋膜炎」「疲労骨折」・・・。

ラグビーをしていた時とはケガの種類が全く違う。あの頃は「捻挫」「突き指」「脱臼」「靭帯損傷」とかそんな感じだった。昔からお世話にっている整骨院の先生に、

「(ケガの具合が)お前はもうランナーだな」と言われてちょっと嬉しくなったのを覚えている。ランニング障害と言われるこれらのケガは、ある日突然発症するからびっくりする。

じわじわくるので気がつかないうちに悪化してしまっている事がある。

(ラグビーのケガは突発的なので、バチンと当たったら肩外れてた。とか、タックルしたら瞼切れたとか原因がわかりやすかった。)

朝起きたら足の甲が腫れていて、「ついに痛風きたーー!!」と思ったら疲労骨折だった事もある。なのでセルフケアには今までよりずっと気を使うようになった。

休みの日は温泉に行ったり、マッサージを受けたり、ホームローラーでコロコロするのは日常になった。こうやって自分の体と向き合う事も、ランニングというスポーツにおいては

とても重要なんだと学習した。

 

 

 

さてそろそろまとめようかな。

 

 

 

 

ぼくが走り始めた理由は、ダイエットだと先に書いた通り。

でも、僕が走りづづける理由は小学生の頃に流した涙をぬぐうためだなんだと走りながら思ったんだ。運動会で涙を流したあの日から、「持久走は苦手」と自分に蓋をしてしまった。

ずっと心にあったその苦手意識を克服したくて今も走り続けているんだ。その自分がついに42.195キロなんていうとんでもない距離を走ろうとしている。きっとこの距離を走り切れたら

僕はもう「持久走が好きです」と胸を張って言える気がする。そして僕の涙は止まるだろう。だからなんとしても完走したい。あの日の自分を超えたいんだ。

 

初マラソンの舞台に選んだのは盛岡シティマラソンだ。大会は10月23日。奇しくもこの日は僕の42歳の誕生日だ。

スタートは9時。目標タイムは3時間45分だ。予定通り行けば13時頃にはゴールしているだろう。

結果はもうこのブログには書かない。どんな結果になったとしても、この3年間、走りづづけた記録をこうして文章に残せた事が嬉しい。そのうちnumberの編集者から連絡がきて

このブログが書籍化されるだろう。その日まで、僕のランニングライフは、まだまだ続くのだ。 (完)

 

 

 

あとがき

 

僕の完全趣味ブログにおつきあいいただきありがとうございました。コーヒーの事を書くより、こっちの方がだんぜん楽しかったです。(笑)

でも先輩ランナーの 盛岡 holz の平山さんが「働かざる者 走るべからず」とおっしゃっていました。こうしてマラソン大会にエントリーするのもタダじゃないし、

県外まで行くのももちろん泊まりになります。お店を空けてまで行かせてもらって、スタッフには感謝しています。また家族には朝早起きする事で犬達まで起こしてしまって

迷惑をかけました。でもこれからもよろしくお願いします。